おすすめ観光コース
たっぷり函館4時間コース
■時 間/約4時間 ■料 金/21,200円
○宿泊先(迎車)
→立待岬 →五稜郭公園
→函館山山頂 →トラピスチヌ女子修道院
→ハリストス正教会 →啄木小公園
→元町公園 →宿泊先
→外国人墓地
※約5時間コースの場合 26,500円
(立待岬)
函館山の南東にある岬。ここ「立待岬」へ続く坂町には、石川啄木一族の墓や与謝野鉄寛・晶子の歌碑などがあります。江戸時代末には、外国船警備のための台場(砲台)があって、第二次世界大戦中も軍事要塞として一般の人たちは立ち入り禁止区域でした。
(函館山)
「函館に来たら函館山に登らずして帰るのはもったいない」と言われる場所。もともとこの函館山は海の上の島。陸続きではなかったんです。それが長い年月をかけて土砂が堆積(たいせき)し、陸続きとなったもの。1899(明治32)年 から1946(昭和21)年までは、函館山全体が軍事要塞(ようさい)として利用され、今もその遺物を見ることができます。
(函館ハリストス正教会)
幕末にいち早く開国された函館(当時は箱館)。日露和親条約を受け1858(安政5)年にロシア領事が着任してすると同時に、当時のロシア国教だったギリシア正教も上陸。それがこの函館ハリストス正教会。「ガンガン寺」という愛称で市民から親しまれている聖堂は、1916(大正5)年に建築された二代目。国指定の重要文化財でもあります。
(元町公園)
もともと江戸時代から明治時代にかけて役所が置かれていたのがこの元町公園。公園からは「旧函館区公会堂」を見 あげることもできます。公園内には、1909(明治42)年に建てられた「旧北海道庁函館支庁庁舎」と、1880(明治13)年に建てられた「旧開拓使函 館支庁書籍庫」があります。支庁舎の内部は、1階が観光案内所、2階が函館市写真歴史館となっているので時間があれば見て回るのもよいいですね。
(外国人墓地)
津軽海峡を見わたす函館山の斜面に、遠い母国を想うかのように外国人の墓地が建ちならんでいます。ここへ最初に葬られたのは、ペリー艦隊に乗船して いた2人の水兵でした。その後、開港地として函館へ多くの外国人が訪れるようになり、異国の地で命を亡くす者も多くなったことで、開拓使によって正式に外国人墓地として指定されました。
(トラピスチヌ修道院) 1898(明治31)年にフランスから派遣された8人の修道女たちによって創立された女子修道院。正式名は「厳律シトー会天使の聖母大修道院」。上 磯町にある「トラピスト修道院」と同系。現在の建物は、司祭館が1913(大正2)年の建築、聖堂は焼失した明治末期の建物を昭和初期に再建したもの。
(五稜郭公園) 蘭学者・武田斐三郎(たけだあやさぶろう)によって設計・監督された洋式城郭。「五稜郭」は1860(元治1)年に建築され、城内には「箱館奉行所 庁舎」があったが解体されている。旧幕府軍と新政府軍の内戦である戊辰戦争、その最後の戦場が「五稜郭」でした。明治時代には堀の水で製氷業がおこなわ れ、「函館氷」「五稜郭氷」として首都圏で販売も。大正時代に公園となって一般に開放され、桜の名所として地元函館市民に親しまれています。国指定の特別 史跡。
(啄木小公園)
「石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし」「船に酔ひてやさしくなれる いもうとの眼見ゆ 津軽の海を思へば」。 1907(明治40)年に、妹ともに故郷の岩手県渋民を出た石川啄木は、文学同人を頼り函館へ。「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」 など、啄木の唄にはわずか5カ月の滞在ながら函館時代をよんだ歌が多いようです。「啄木小公園」のあった場所には、かつて啄木が立った大森浜の砂山があり ました。「砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日」。
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